- 浅草寺縁起
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推古天皇36年(628)、檜前浜成・竹成の兄弟が現在の隅田川で漁をしていたところ、投網に 一躰の仏像がかかりました。郷司であった土師中知はこれを拝し、この仏像は観音像である事 がわかり、お堂を建立おまつりしたのが「浅草観音金竜山浅草寺」の起源です。
観音像は、高さ一寸八分(約5.5センチ)の金色の像であると言われていますが、公開されることのない秘仏となっています。平安時代には延暦寺の僧・慈覚大師が来寺して「お前立ち」(代わりに拝む為の像)の観音像を造ったとされています。 これらのことから、浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と仰がれています。
鎌倉時代には伽藍もととのいましたが、特に江戸時代になってからは徳川家の庇護のもとに、庶民の信仰を集めた浅草寺とその門前町は賑わいを見せ、関東でも有数の観音霊場として多くの参詣者を集め今日におよんでいます。
浅草寺は今も人々の信仰篤く、四季を問わず、国内外から多くの観光客が訪れ賑わいを見せています。
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